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2019/04/09 12:53

東京の桜が満開となりはじめた3月31日、桜の見物客で賑わう九段下で菊地画伯のトークイベント《絵事放談》が開催されました。
その時のお題は、菊地画伯が敬愛する画家のひとりルノワールの言葉からです。

まずは、ブーシェについてのルノワールの言葉。
    ブーシェ(1703~1770) 《水浴するディアーヌ》
「ブーシェの《水浴するディアーヌ》は、私の心をとらえた最初の作品である。そして、生涯にわたって私はこの絵を愛しつづけた。こんなものを愛するべきではない、ブーシェは、まったくのところ装飾家に過ぎないではないか、と人から熱心に説かれても、ちょうど初恋の女たちを想いつづけるように愛したのである。彼らによれば装飾家とはまるで肉体と精神の欠陥ででもあるかのようだった!
 だが、実際のところ、ブーシェは女のからだをもっともよく理解した人の一人である。彼は若い女のお尻や、小さな肉のくびれを、まさにこうあってほしい、というふうに描いた」



ロココ様式を代表するブーシェですが、ロココ様式自体が王侯貴族の少々軽佻浮薄な生活趣味に迎合した様式として批判の対象となりがちです。ルノワールの言葉の前半の意味するところですね。
ルノワールは、そんな批判はまったく的外れで、ブーシェほど女性の体の美しさを性格に理解し表現できた画家はいないといっているわけですが、ルノワールにも大衆に迎合した趣味の女性像ばかり描いているとの批判があります。
(画家、前衛芸術家、小説家としてマルチな才能を発揮した赤瀬川原平氏は《名画読本》の中でルノワールの代表作(?)「ピアノの前の少女たち」をルノワールの大衆迎合『柔らか主義』と言ってぼろくそに批判していますが、このことについても絵事放談の後半で紹介されました)
ルノワールはブーシェと自分を重ね合わせていたのかも知れません。
人がなんと言おうと自分が美しいと思ったものを描くというルノワールの気概を感じます。
それにしても、多少漫画チックなブーシェの絵の中で、この絵は格別に繊細上品な表現でブーシェとは思えないくらいの傑作で、ルノワールが心のよりどころとしたのも頷けます。